今日はプノンペン
日本語が出るような出ないような...
今日はカンボジア全土で流行りまくりの子牛の丸焼きを食べました。
ついでにホテルのプールサイドのバーでカクテル飲んだりして
なぜかリゾートライフを満喫中。隣がはにぃならもっと良かったのに。

旅も終盤。明日は早起きしてベトナムへ向かいます。

【2010/12/02】 業務連絡 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
今日はホーチミン
川沿いの適当なホテルのロビーから書いています。
ここに来るまでにバス降りたところからタクシーで3千円もボられました。
まだまだ修行が足りないようです...



【2010/12/03】 業務連絡 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
ひどい下痢になりますた
原因は色々思い当たりすぎてわからねぇw
ハラはあんまり痛くないし、血が出ているわけでもないけれど
ちょっと熱っぽいので、最悪成田の検疫で止められたらどーしましょw

とりあえず、明日帰る予定です。

【2010/12/04】 業務連絡 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top↑
ima kuukou
geri ha futsuu no geri ni modori
netsu mo binetsu ni natta node hikouki ni norimasu.

kinou ha 39do chikaku netsu ga dete warito sinisou desita.

【2010/12/05】 業務連絡 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
無事じゃないけど
帰国しました。

ようやく下痢も落ち着き、普段どおりの体調に戻ってきたので、
これからぼちぼち旅日記も書いて行きたいと思います。

そのまえに、男性諸氏お待ちかねのロリ写真だけ先にうpしときますわw

見たい人は続きからどうぞ!
でもキャッシュ漁られて大変なことになってもしらないぞ!


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【2010/12/07】 業務連絡 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
思い出し旅行記 ママンとアンコールワット 11/27 1日に3回もヒコーキに乗るの巻
nariking_m.png



朝は5時起きで南太田駅へ。成田空港へ行くのに横浜で1回乗り換えればいいのは
ラクだが、600形なのにロングシートとはがっかりだ。まあそれでも人形町あたりで
かぶりつきに移動できたのはよしとしよう。通路を挟んだ反対側に嫌な咳をしていた
客が居たが、そこにどーみてもこれからご出勤のCAが座って化粧をしている。
へんな病気が移らなければいいが。

アクセス特急が新柴又の駅を過ぎて川を渡ると、ぐっとローカルな田園風景が広がる。
アクセス特急は印旛日本医大まで110km/hでしか出さなかったが、そこから先は
明らかに路盤が代わり120km/hでかっ飛ばすようになる。しかし、成田湯川で6分も
待たされ、新型スカイライナーに抜かれる。まあ一番安いからしかたがないか。

2ビルで降りてCIのカウンターへ向かう。今回はビジネスクラスなので
つらつらと長い列に並ばされる貧乏人共を尻目にサクッとチェックインする。
ママンは横入りしたこと自体に気が付いていないようだ。
登場時間にはまだ少しあるので、ひでのふはママンをエスコートして
「ここで少し休んで行こう」と言ってラウンジへ。
如何にも貧乏人立入禁止な雰囲気を漂わせるラウンジ入口に、ママンはビビッて
ここ高いんじゃないの?」とひでのふにつぶやくが気にせず入る。

連れてこられたネコのようにぎこちないママンと一緒に優雅な朝食を頂く。
「ここはタダだから心配するな」と言って少しは緊張も解れたようではある。
ひでのふは調子に乗ってワインまで飲む。

ラウンジ近くの免税店をひやかした後で、搭乗時間ちょっと前に搭乗口に向かう。
もちろん優先搭乗で機内へ。B747の2階席は窓の位置が低くて外が見づらい。
コドモなら丁度いいくらいかなあ。でもやっぱり席は広くて十分快適。
大体新幹線のグリーン車並みのアコモデーションだ。
ヒコーキが離陸して、しばらくしてから窓から見えたランドマークタワーと富士山に
ママンはいたく感動してくれたようでよかった。日系便だと富士山にさしかかると
機内アナウンスがあるものだが中華航空でそれは無かった。

昼飯はママンが和食でひでのふが洋食の牛を事前にインターネットで手配。
ママンの和食はなかなかお上品な内容。お年を召した方でも喜んで頂けそうだ。
洋食は前菜とデザートは完璧な内容だが、やっぱりメインはどうしても機上調理の
制限からか、エコノミーの内容をそのまま出してくるような感じ。
それでもビジネスの食事は陶器の器でサーブされるのがいいねぇ。
ひでのふはシャンパンと赤ワインを一緒に頼んで頂く。

台北空港は2度目だがちょっと迷う。まあ前回もちょっと迷った覚えがあるが。
ママンは色々と愚痴っているが気にしないで探す。
なんとかラウンジを見けて飲み物1杯とアメちゃん貰って急いで搭乗口へ。
バンコク行きも当然優先搭乗だったが、赤ん坊連れが最優先だった。

そしてまた機内食。ママンは中華でひでのふは洋食。前菜とデザートは両方同じ。
ママンの中華の肉団子はなかなかのボリューム。ママンは少し残していた。
ひでのふは洋食と言ってもメインの肉は八角風に煮込まれているので、中華だ。
でもなぜかパンが妙にうまい。

スワンナプーム空港の入国審査にはいつものように長い行列ができていた。
入国したときはすでに到着から1時間が経過していた。まずはシェムリアップ行きの
バンコクエアウェイズにチェックイン。こちらはスムーズ。それからいつもの空港1F
にある食堂で軽く飯。ここで溜りに溜まったバーツの小銭を消費して、食券売りの
お姉さんに軽く嫌な顔をされる。ママンはおかゆっぽいものを頼んで50B。
意外と高い。ひでのふはご飯におかずを2つ盛った定食で45B。ついでに水7B。
カレーは大して辛くなかったのに一緒に頼んだ空心菜の炒め物が無茶苦茶辛くて軽く
死ねた。隣のコンヴィニで恒例の謎乳酸菌8Bとママンがホールズ8Bを買っていた。

出国審査もこれまた大行列で焦る。ひでのふ一行が仕方なく並んでいると、後から来て
軽く横入りして通り抜けて行った白人カポーが居て非常にハラが立つ。我々も運の良い
ことに、隣のブースが新しく開いたのでそこに一番で滑り込む。ママンがこないなと
思っていたら、なんと窓口のお役人を急かしたらしい。余計遅くなるのに。
残念ながらバンコクエアウェイズご自慢のラウンジを満喫する余裕はなかった。

ヒコーキに乗ったらあの横入り白人カポーが居てビックリ。カップルかと思ったが
一人はおっさんじゃなくて女の人で二度ビックリ。
ママンはそんな田舎者連中に鶴を折ってくれてやったらしい。お人よしも度が過ぎる。
シェムリアップ行きのヒコーキではコールドミールの機内食が出た。
どーゆー訳かマンゴーがおいしくない。ママンはまた残していた。

シェムリアップ空港は回りに何も光が無いなかポツンと空港施設があるので、
虫の集り方が半端じゃなかった。シェムリアップのイミグレはアライバルビザを
取ろうとする人はほとんどいなかった。大半が e-visa 利用のようでみんなさっさと
抜けていく。空港利用料はやっぱり取られなかった。
ちなみに利用しなかったが空港にある銀行の両替レートはかなり極悪である。
税関は当然のように鬼スルー。てゆーかそもそも係官が居ない
税関ブースの手前では日本人団体客が真面目に税関審査書類の書き方レクチャーを
受けていた。空港出口では無事迎えのトゥクトゥクと落ち合うことができた。
空港を出ると、カンヴォジアの香りの洗礼に早速ママンが死にそうになっている。
ひでのふは「ここの人が大丈夫なんだから気にする必要ないって」と言うも、
現地人は無知なのよう!」とさらりとママンは酷い事を言うw

ホテルに到着してチェックイン。夜少し遅かったが色々世話を焼いてもらえる。
9万円分をホテルで両替したら、1万円当たり112$となり、これなら日本で両替
してきたほうが良かったレートでしか替えてもらえなかった。
とりあえず明日分の観光ツアーの約束と、朝飯の内容を伝えてから部屋に入る。
ママンは冷蔵庫にあったペットボトルの水大1本2$と小1本1$を躊躇無く
開けていた。


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【2010/12/11】 ママンとアンコール | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
思い出し旅行記 ママンとアンコールワット 11/28 隠しクエストをこなすの巻
夜はなぜか二人ともなかなか寝付けなかったのだが、朝6時半に隣からスピーカーで
大音響のお経のようなものが響き渡る。そして寝不足には拍車がかかる。
それでも朝8時には起きて部屋の前のテラスで食事。メニューはアジア風ってことで
豚焼きとカットフルーツとサラダ。まあまあ。ただ、ひでのふ好みの濃いコーヒーが
ポットたっぷりに入っているのがうれしい。目の前のプールでは白人が朝っぱらから
泳いでいる。

ツアーに出かける準備をする前に、ママンが「マスクがない!」と大騒ぎをしている。
まあ、昨日の悪夢がよみがえって必死になっているのだろう。幸い見つかった。
9時から早速ツアーに出かける。
ツアーの一番最初にチェックポイントで写真を撮って、3日分の遺跡への入場券を
作ってもらう。一人40$は高い高いとビサールに文句を言ったが、観光地としての
遺跡整備の状況からは決して高くないことをこの後何度も感じることになる。

まずはアンコールトムの南大門へ。ガイドのビサールは乳海攪拌等次から次へと説明を
してくれ、よく勉強していることを伺わせる。しかしひでのふは昨日の空心菜の
炒め物がガッツリ菊穴を苛ませていて割りとそれどころではなかった。
遺跡の石にはところどころ穴が開いており、ひでのふはてっきり内戦の傷跡だと思って
いたのだが、実は石を運ぶときに開けた穴なんだそうだ。
アンコールトムを囲む壕では、近所の農民が壕に生えているホテイ草を勝手に採取
している。なんでも家畜のエサにするらしい。世界遺産で家畜のエサを取る
おおらかさがとてもカンヴォジアらしくて良い感じだ。
南大門をくぐると早速サルが歓迎してくれる。
結局遺跡の中でサルが住まうのはこの一角だけであった。

次はまたトゥクトゥクにのってバイヨンへ。菊穴はピークを迎えていたがどうにか
持ちこたえた。観光客が象に乗ってバイヨンを一周しているのは楽しそうだ。
バイヨンの壁に彫られたレリーフは、当時の生活も偲ばせる物もあり緻密で興味深い。
遺跡の中ではアプサラダンスの一行が観光客と一緒に写真を撮ってチップを
せしめていた。
さらに歩いてバプーオンへ。この日は日曜なので中には入れず。
裏手に回りバプーオンの涅槃仏を見る。デカいがまだまだ修復途上もいいところだ。
奥にある王宮跡には入らなかった。バプーオンの空中参道脇の池で、何かを獲っている
兄貴達が居たが、一体何を獲っていたのだろうか?
そして象のテラスを横目に駐車場へ向かう。おじぎ草が雑草として普通に生えている。
日本人パッカーの姉ちゃんが子供の物売りに捕まってなんか買わされていた。
ひでのふは何度かの旅のお陰で物売りに対するスルー能力が備わってきているのだが、
ママンがいちいち捕まるのでうっとうしいったらありゃしない。
運転手が待つ駐車場ではカエルの串焼きが売られていた。
あんまりおいしそうじゃないので買わなかった。

次はタ・ケウへ。その前にトイレへ。遺跡のチケットを持っていると無料で使える
トイレが遺跡から遺跡への途中に設けられていて、先進国民でも十分リラックスして
使える清潔さを保っているのはとてもありがたいと思った。

タ・ケウは遺跡の一番上に行かれると言うので、ママンとビサールを下に置き、
ひでのふだけで行く。最初は大したことないと思っていたのだが、
本来開かないはずの飾り扉が開き、中に一歩入った途端、
飾り扉は音を立てて閉まってしまい外に出られなくなってしまった。
もちろん明かりも何も無く、大きな声を出してみると遺跡のサイズに見合わない
エコーが掛かる。外からは音に対する反応も無い。
暗くて何も見えないのでは話にならないので、ケータイのディスプレイをライト代わり
にして先に進む。ひどく入り組んだ緻密な迷路だったが、しばらく歩くとちょっと
開けた場所に出た。途中何度か野犬やなんだか得体の知れないものに襲われたが、
カメラのフラッシュを炊いたり、落ちていた棒切れを振り回したりして何とか凌いだ。

開けた場所に出た途端、辺りに警報のような音が鳴り響き、周りからガチャガチャと
金属が当たる音がいくつも聞こえてきた。ガチャガチャ音が一旦止み、もう一度同じ
音が聞こえたときには明らかにこちらに向かっているのを理解した。
ケータイを向けて見ると、槍と長盾で武装し、髪をひっつめにした沢山の男達が
整然とこちらに向かっているのが見えた。

これは、捕まったら絶対殺される!と思い全速力で
左にフェイントをかけると...突然のひでのふの動きに追従できず、
彼らはお互いぶつかり合って隊列を崩した。
そして一旦ひでのふを追いかけるのを止め隊列を整え始めた。
もちろん隊列が整えば猛然とひでのふを追いかけてくるのだが、また捕まる寸前で
フェイントをかけて隊列を崩すことを繰り返した。
しばらく逃げ続け、ようやく大き目の体育館ぐらいのサイズであることを突き止め、
一箇所だけ石造りの階段があったのでそこを登ってみることにした。
かなり急な階段だったので、落ちないようにと前かがみになって石段に手をつくと
火傷しそうなぐらい熱せられていた。

何段か石段を登ると、ひっつめ髪の兵隊達は追いかけてこなかったのが救いだが
石段は登っても登っても上が見えない。かと言って疲れて石段に腰掛けると
ものの数秒で熱くて座っていられなくなってしまう。
とはいえ、戻っても出口はないだろうし、その前に今度こそひっつめ髪の兵隊に
止めを刺されるはずだ。
ちょっと後ろにそっくり返ったら、確実に死ねる高さにはいたと思う。
進むも地獄、戻るも地獄の中で泣きそうになりながら一歩一歩に石段を登ると
ようやく先の方に光が見えてきた。
出口に出ると、光の中になんか偉そうなお坊さん見たいなのがいるのがわかった。
何かをひでのふに語りかけているようだが、言葉が判らないのでうんうん頷くだけ。
とりあえず殺されそうも無いことと、これで大丈夫なんだってことは判った。
左手に何か付けているようだが、もう抵抗する気力はおろか、それが何であるか
確認する気力すら残っておらず、その場に倒れこんでしまった。

起き上がると、タ・ケウの一番頂上に居た。
ひどく疲れていたはずなのに、思ったほど疲れはなかった。
何時間もさまよっていたので、ママンやビザールはさぞ心配したことと思ったが
まだほんの15分ぐらいしか経っていないと言っている。
なんか狐につままれたような感じだが、黄色と赤の紐で作られた勇者の証
今でも左手に残されている。
ママンは待っている間、ビサールに「あの男の人との関係は?」とか聞かれていた
ようだ。

次はタ・プロームへ。なんかまだまだ遺跡の修復途上なのか機械の音がどこでも
うるさいなあと思っていたら、セミの声だった。
駐車場からタ・プロームへ向かう間の参道には松明の木が生えていた。
ママンはカンヴォジアの植生に随分と興味を示している。
タ・プロームは、遺跡修復ではなく現状維持を重点に置いているようだ。
アンコール遺跡の破壊は、主に植物によって為されているのだが、タ・プロームは
その植物とのコラボレーションが観賞のポイントなので、そうしているのだろう。
ここも遺跡は凄いのだが、ずっと上ばかり見ているので首が痛くなってきた。
そして椅子でもなんでもないところで座り込む白人はどーにかならんのかと思う。

スラ・スラーンの脇にあるレストラン街で昼飯。
1軒目は満席で入れず、2軒目はなんとか入れたが、白人観光客でほぼ満席。
ママンはアモック・トゥレイを、ひでのふはピーマンと鶏肉の炒めを頼み
飲み物はマンゴーとミックスのシェイク。デザートにフルーツ盛り合わせ。
店が混んでいたのか、料理が出てくるまで20分以上かかった。フルーツ盛り合わせ
に至っては、催促するまで出てこなかった。
アモック・トゥレイは名物料理だけあってなかなかうまい。しめて16$。
おそらくはガイドと運転手の食事代も含まれていて、市内に戻って食事をすると
5$追加料金がかかるのはおそらくこのせいなのだろう。

レストランを出る頃に雨がぽっついてきはじめていたが、アンコールワットにつく頃
にはほとんど止んでいた。壕に描かれた雨粒に見えたものは、アメンボだった。
アンコールワットにはほとんど人がいない裏側から入る。ママンはビサールから
冷えたペット水を恵んでもらっていた。
ビサールが言うには今日は警官が沢山いるので、誰か偉い人でも来ているのだろう
とのこと。
バイヨン同様アンコールワットもレリーフが素晴しい。
ビサールに勧められるまま第三回廊に急いで登る。第三回廊はかなり高い場所に
あるにも関わらず、沐浴場があってびっくり。こんな高いところに水を運んで溜める
当時の人々の意思と技術力には感嘆せざるを得ない。
第三回廊を降りると、丁度団体さんが到着したようで物凄い行列ができていた。
アンコールワット正面の池の脇に、今度は四葉のクローバーが沢山生えていた。
どんだけ祝福された場所なんだw
しかし正門の石に空いている穴には銃弾がめり込んでいた。
喉が渇いていたので売り子に勧められるままコーラを1$でゲット。
そして池に映るアンコールワットを背に、ビサールに勧められるまま写真を撮る。

帰りにアンコールクッキー屋に寄って、ママンは大量のクッキーを買い込んでいた。
そして、ドライバーのビナールとガイドのビサールは兄弟なんだそうだ。
ビサールはこの前プノンペンで行われた日本の女子プロレスの通訳としても
活躍したんだそうだ。← 後日ネットを漁ったところ本当。
ビサールは昔小学校の先生をしていたようで、そりゃ細かい数字が次から次へと
出てくるわけだ。ビナールは英語のガイドもしているそうだ。
帰り際豚の丸焼きをやっている店を見かけたが、ビサールが言うには、あれは豚では
なくて子牛の丸焼きだそうで、いまカンヴォジアで流行っているのだそう。

ホテルに戻ると、まだ隣から大音響が響いている。ビサールに聞くとあれは葬式なんだ
そうだ。隣の敷地に勝手に入って中を観察してみると、確かに葬式をやっていて
これからみんなで鍋を食べようかという準備をしていた。
そして昨日頼んでおいたプノンペン行きのボートのチケットをゲット。
乾季は5$高くなって一人40$。
まだ日も高かったのでひでのふは一人で町巡り。
オールドマーケットはみやげ物屋が多く、手に入れやすそうに感じた。
帰りにロータリーの雑貨屋でファンタ 2000R を買って飲む。ついでにホテルの目の前
の雑貨屋でペット水大2本を1$で買って戻る。

暗くなってから AMAZON ANGKOR へ。ちょっといい服に着替えてから行く。
バイキングはこれ12$でいいのかよ?ってぐらい良い内容でだったが、
それ以上にアプサラダンスの内容が良くて見とれてしまい、全然食べられなかった。
最後にママンをステージに上げ、無表情なアプサラダンサーと一緒に写真を撮る。
本日の日程を全部終えてからホテルのプールで軽く汗を流し、
日記書いてネットやってから寝る。

【2010/12/12】 ママンとアンコール | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
あおぞら家族ベストヒット 2010/11
・2010年11月17日刊 聖教新聞より引用

20101117.jpg










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【2010/12/13】 あおぞら家族 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
思い出し旅行記 ママンとアンコールワット 11/29 ラピュタは本当にあったんだの巻
5時起きでアンコールワットの朝日を見に行く。5時半ごろアンコールワットに着くと
すでに東の空が白んでいた。念のためにと持ってきた懐中電灯が活躍する。
正面の橋のたもとでは結構人が居るなと思ったが、中に入るとそうでもなかった。
とりあえず、左側の書庫の縁に座って朝日を待つ。だんだん明るくなってくると
アンコールワットが池に映って美しい。
太陽はさすがに真東から昇ることは無かったが、出てきた太陽はとても眩しかった。
結局6時半頃までアンコールワットに滞在した。
アンコールワットからの帰り道に、これから学校へ急ぐ学生の姿を多数見受けた。
大体5kmぐらいの道のりを自転車で通うのだそうだ。子供の中には無理な体勢で
大人用の自転車を器用に乗りこなす者もいる。

一旦ホテルに戻り一寝入り。ママンが先に起きてカーテンを開けたら、なんと
すっぽんぽんの裸のじいちゃんが目の前のプールで泳いでいたらしい。ドイツ人だなw
そして8時に朝飯。今日は洋食にしてみた。味は良いんだがケチャップが欲しい。

9時から今日も観光。まずはホテルから2時間以上トゥクトゥクに揺られて
ベンメリア遺跡へ。ラピュタは本当にあったんだ!
でもまだラピュタは東の方が一部地雷が残っているそうで、まだまだ人を簡単に
近づける場所ではないようだ。ここも修復よりも現状維持を主眼に整備を行っていて
今でも頑張ってドイチェ人が地雷も除けているようだ。
ちなみに、ラピュタの一部とシェムリアップの下水道は日本が整備しているそうだ。
カンヴォジア人は何人がどこを援助してくれたのかちゃんと理解しているようで、
この辺は日本の近所の国とはエラい違いだ。

歴史的にラピュタはアンコールワットのテストケースにあたるそうで、なるほど
あれだけ巨大な建造物を作るには練習も必要だと言うのはうなづける。
まずは検問所で別途料金ガイジン一人5$を支払い先に進む。
検問所のトイレは出来たててとても綺麗。そして何か別の建物を増築していた。
参道を進んで見えてきたラピュタ本来の入口は瓦礫で完全に埋もれていた。
遺跡を見学しているのは、他の遺跡と違い白人とイエローで半々ぐらいか。
やはり宮崎駿は偉大なのかなあ。白人の若者は相変わらず登ってはいけない場所に
登り、はしゃいでいるのが目に付く。
ラピュタは乾季と雨季では遺跡の色が違うんだそうだ。今我々が行った乾季は
茶色で、雨季は苔生して緑に彩られるとのこと。
今回訪れた地点の幾つかは、雨季になると水が溜まって行く事ができないそうだ。

ママンは近くに生えていた、かさぶたのように剥がれる木の皮をお土産にしていた。
行きの参道はそれなりに整備されていたが、帰りに通った別の参道は、参道のど真ん中
に木が生えている寂れた参道だ。参道脇の昔は壕だった場所は完全に沼地になっている。
他の遺跡もそうなのだが、アンコールワットは人の手で壊されたのではなく、
後から生えてきた植物によって壊された場所ばかりだ。
ビサールに「でも綺麗な彫刻はみんな白人が盗んで行ったんでしょ?」と聞くと、
「そうではない。最初に盗んだのはカンヴォジア人で、山に落ちている石が高値で
売れるんだから、みんな売っちゃうでしょ?」とのこと。

参道の終点では、ビナールが現地のコドモに絡まれていた。
まさに「絡まれていた」という表現こそふさわしい。
ママンはバンコクで買ったのど飴と、そして折り紙を集られていたが、
折り紙の鶴はあまり現地のコドモには好評ではなかったようだ。
しかし、我々はあそんでいるのかあそばれているのか...よくわからない。
少なくとも、現金をたかったり、物を盗んだりと言うことはしないようだ。

ラピュタから少し離れた食堂で昼飯。
ママンはチキンカレー。ひでのふは何故か昨日と同じものを頼んでしまう。
それといつものシェイクを二つ。
ママンはココナッツミルクベースのカレーはとてもうまいとご満悦だ。
そしてひでのふの炒め物も、カンヴォジアはとてもピーマンがうまい。
苦くないし、肉厚でやわらかいのだ。
ここの店のトイレは清潔だが、便座は壊れて座れない。しめて13$。
ひでのふはまだ喉が乾いていたので隣の雑貨屋でコーラ 2000R も飲む。
カンヴォジアのコーラはなんか薄いんだよねぇ...

またトゥクトゥクで1時間半。今度はロリュオス遺跡群に向かう。
途中、もち米を竹筒で蒸したものをママンが買ってみんなで食べる。1本1$。
ココナッツミルクの素朴な味がよい。おそらく空腹でも2本食べれば十分おなか
一杯になるであろう量だ。同じ道ではビサール曰く「藁キノコ」なるものも作られて
いたが、それが一体どんなキノコなのかは結局最後までわからなかった。
日本に帰ってから調べてみたら、おそらくフクロタケではなかろうかと。

ロリュオス遺跡群はまずはロレイへ。超ボロいw
構造が焼きレンガで作られており、明らかにアンコールワットとは作りが異なる。
アンコールワットの5百年前ぐらいに作られたものなのだそうだ。
遺跡の脇には現役のお寺があり、お坊さんが厄落としの儀式をしていた。
帰りに孤児の女子中学生に拝まれたので1$寄付する。

次はプリア・コーへ。まずは最初遺跡の目の前にある工房を見学。
工房で作られた各遺跡のジオラマを見ながらビサールが説明をしてくれる。
ビサールは我々との仕事が終わった次の日に行くのだと、
プリア・ヴィヘアの話もいろいろしてくれる。
ここでてっきり土産購入を強制されるかと思ったが、そんなことはなかった。
でもママンはレリーフのレプリカ1$を購入していた。
工房では小学生ぐらいのコドモが5つ星ホテルの壁を彩るような立派な石彫りの
レリーフを作っていた。これだけ立派なものが作れるのに、なぜかコドモ達の住まう
施設は非常に粗末なものだ。一体どうなっているのだろうか?
プリア・コーもロレイ同様超ボロい遺跡なのだが、ここの狛犬が遺跡の状況とは
裏腹に非常にカッコいい状態で残されているのが印象的。

最後にバコンへ。一応同じロリュオス遺跡群なのだが、
アンコール時代に手をいれられたそうで前の二つとは明らかに様相が異なる。
ビサールはここを縄張りとする気狂い聾少女に小遣いをやっていた。
ビサールは彼女のお得意様なんだそうだw
ついでにママンは傷痍軍人の楽団に1$の恵んでやっていた。

本日の観光が全て終わり、一旦ホテルに戻る。隣はまだ絶賛葬儀中でうるさい。
ひでのふはまずホテルのすぐ近くにある仕立て屋に洗濯を依頼しに行く。
暗くなるまで部屋で一休みし、運良くホテルの無料トゥクトゥクがゲットできたので
オールドマーケットまで送ってもらう。ママンを連れて市場の中をぐるっと一周するが
特に目を引くものはなかった。とりあえずお土産にARAを1カートン5$を買う。
晩飯はオールドマーケット近くの屋台街で食べる。どこで食べようかとぐるっと一周
している間に停電が発生してママンが軽くビビる。
ついでに昼飯を同じレストランでとっていた日本人の姉ちゃんをママンが発見し、
軽く立ち話をしていた。
あーひでのふは絶対冴えないマザコン男と思われてるんだろうなあと思うと胸が熱い。
結局晩飯はクメール風ジンギスカン。英語さえロクに通じないが気合で注文。
日本のジンギスカンと異なるのは、鍋の脇に湯が入っていて、野菜はそこで煮ること。
ママンはイカがうまいうまいと言って一人でバンバン食うので追加で注文。
締めに麺を湯がいて食べるので結構おなか一杯になった。
食事中にも普通に停電が発生してこれはちょっとアセる。
アンコールビールを大瓶で1本頼んだがそれでもしめて9.5$。ちょっと安い。

それから腹ごなしにナイトマーケットへ。入口はせまくてしょぼいなあと思っていたが
実際中に入ってみると凄い奥行きで見るところが沢山あった。
足を魚に食われてキャーキャー言ってる白人が多かったが、中には全身食われている
かなり気合の入ったヤツも見かけた。
ママンはここでえび柿と姪っ子に象の刺繍の入った財布を買っていた。
言い値は2個で5$だったが、ちょっと値切るとすぐに2$になった。
それでも高いと思うが。ママンはこの様子を見て
「ちょっと値切るだけですぐ半額以下だなんて...」と絶句していた。
それから別の店で、サンダル3$を2$で買い、ついでに太鼓も衝動買い。
15$を11$に値切って買った。ママンは他の店も巡り、えびちゅと甥っ子向けの
お土産を探すがなかなか琴線に触れるものを見つけることはできなかったようだ。
帰りにアイス屋でアイス2.5$を買って食べながら帰る。高いだけあってなかなか
うまいが、すぐ溶けてしまうので急いで食べなくてはならなかった。
ついでにオールドマーケット近くの加華銀行のATMで200$ほど用立てする。
途中のロータリーの雑貨屋でコーラでも飲もうかと思っていて店の前を通ると
なぜかカンヴォジア人ロリに手を引かれ、店の中に引っ張り込まれる。
仕方がないのでジュース 2000R を買う。ママンは大喜びだったが。
さらに帰り道の途中にある果物屋で、ママンはオレンジを買っていた。
輸入物のようで 500g で2$となかなかの値段。

今日もまたプールで軽く汗を流して、風呂入ってネットやって日記書いて寝る。

【2010/12/14】 ママンとアンコール | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
思い出し旅行記 ママンとアンコールワット 11/30 彼は私のお父さんですの巻
今日もまた朝から葬式。ビサールの話では三日は続けてやらないと言っていたのに。
昨日は夜に雨が降ったようで、地面が濡れていた。
朝飯は日本食をチョイス。なんと米がジャポニカ米!鯖の味噌煮には骨がない!
このホテルの日本食へのプライドはハンパないことだけは確かだ。

今日は9時から観光最終日。まずは東メボン方面へ。
ここは昨日行ったバコンと同じくピラミッド状の遺跡だ。しかし、遺跡の中心街から
少し離れているせいか、カンヴォジア名物汚職警官が警察バッジを1000円
買わないかと誘ってくる。
遺跡の上からは近所で椰子の葉を採取する農民と地平線が見える。

それから近道をしてバンテアイ・スレイに向かう。トゥクトゥクは舗装されていない
細い道を進む。道すがらリアル農民の家の前を通るが、中には日本の家よりもずっと
立派な家がいくつも見受けることができた。家が立派な理由をビサールに尋ねると
最近土地取引が自由化されたせいで、少し土地を売って立派な家を建てる農民が
多いとのこと。このへんの事情は日本と似通っていてなかなか興味深い。

バンテアイ・スレイはスイスが直したとかってことで、とても綺麗に整備されている。
トイレは今まで見た中では一番綺麗で立派だ。
遺跡に向かう参道で、近所の農民がジャックフルーツを売っていたので買ってみる。
1$分買ったが、正直多すぎて半分以上は棄ててしまった。食えないことはないのだが
正直沢山食べるとかなり飽きる味だ。手もべたべたになった。
遺跡に向かう途中、遠くで物乞いを追い出す声が聞こえた。
例の汚職警官は、どうもこのような明らかな物乞いを排除する役目があるようだ。

バンテアイ・スレイは確かに他の遺跡と色合いが違う。
例の東洋のモナリザは、他のアプサラとそれほど変わらないように思えた。
バンテアイ・スレイに併設されている博物館で、発見当時の写真を見る。
写真を見ると、よくぞここまで修復したなと感心する。
博物館から出るときにはサインと感想を書かされるが、
ママンはすべて日本語で書いていた。

昼飯はバンテアイ・スレイに併設されている食堂街で食べる。
ママンはベジタブルカレー。ひでのふはアモック・トゥレイを食べる。
飲み物はママンはミルクティーでひでのふはミックスシェイクを注文。しめて13$。
アモック・トゥレイはなんとココナッツの殻に入って出てきた。最初はとても美味しく
感じたのだが、いかんせん量が多すぎで正直飽きたので残してしまう。
ママンもハラの調子が悪いとかで、やはり残してしまう。
そして今日も料理が出てくるまで30分以上待たされる。
これがカンヴォジアクオリティか。

次は地雷博物館へ。小火器ばかりだがソヴィエト製の萌え兵器が沢山置いてある。
まあ、展示は正直しょぼい。半分寄付のつもりで入る。二人で4$。
中にはポルポト派を処断するシアヌーク殿下とフンセン首相の絵があった。
ビサールに話を聞くと、フンセンはもう15年首相をやったが、あと10年はやるで
あろうと言っていた。ひでのふ的にも開発独裁はとてもうまく回っていると思う。
そして日本語の地雷博物館の説明DVDがあると言うので見せてもらうと、
なんと世界バリバリバリューの放送を録画したものを延々見せられた。
こんなのに時間をとられてしまうのは非常にシャクなのだが、
館長アキ・ラー氏の生き様には心の底から感心するのでよしとする。
あれだけ沢山の地雷を、原始的な装備で除去し続けているのだ。誰が真似できようか?

次は東バライの湖が見える遺跡に行く。ママンは遺跡より湖の方が凄いと言っている。
ここに屯する土産売りのコドモはやる気があったりなかったりだ。
ミャンマーのように生活がかかっている風は全く無く、遊びの延長に見える。
ビサールはそのうちの一人を近くの売店に水を買いに走らせていた。
なるほどそういう使い方もあるのかと感心する。

次はタ・ソムへ行く。ガイドブックには必ずある、タ・ソム東側の塔門を覆う木の
実物は、やはり凄い。塔門の奥ではまだオムツも外れていないような2歳ぐらいの
ロリが一生懸命ポストカードを売っている。英中韓日全てのコトバの売り文句と
数字を、拙い言葉で喋って売っている。正直これは反則だと思ったので買わなかった。

最後はプリア・カン。ヒンズー教と仏教がまざりあっていてとても興味深い。
参道の灯篭からは、すべての仏像が削り取られていたのだが、一箇所だけ削られて
いない箇所があった。そこに人における信教の意気込みを見た思いだ。
遺跡は一箇所だけ完全に様式が異なる丸い柱の遺跡があるのが不思議だった。
ビサールの話によると、クメール王朝の硬貨がエジプトあたりでも発見されており
当時は貿易で潤っていたクメール王朝が、ヨーロッパ方面の文化の影響を受けても
不思議ではないと言う事を教えてくれた。
アプサラのレリーフも他の遺跡と比べると様式が異なる感じがした。
遺跡をめぐる途中の道でカマキリが交尾していたのでみんなで見入る。
すでに一匹の雄が雌に食われていた。諸行無常。
最後にアンコールトムとアンコールワットの脇を通っておしまい。
本当は夕日を見に行く予定だったのだが、結構雲が出ていたのでパスする。
みんな疲れていたのでそこまで余裕がなかったってのもあるかもしれない。

ホテルに戻ると、今日もまだ絶賛葬儀中でうるさい。
ひでのふは速攻洗濯物を取りに仕立て屋に向かう。
洗濯物は二日分の下着一式を出してたったの 3000R と激安はいいのだが、
ホテルに戻って包みを開けてみると、靴下が片一方無くなっていた
そしてママンはビサールに日本の教科書を送る約束をしていた。
ビサールは20歳の時に小学校の先生、24からタクシーのドライバー
27から日本語ガイドを始めたとのことで、日本語は独力で覚えたそう。大した男だ。
ちなみにまだ30歳のビサールだが、干支を聞いたママンは42歳だと思ったそうだ。
確かにちょっとふけている。そしてまだ独身なんだそうだ。

今日も部屋で少し休んでから、ホテルの無料トゥクトゥクでスープドラゴンに向かう。
2Fなら冷房かなと思ったがそれは甘い考えだったw
まずはハッピーアワーで一杯1.5$の白のグラスワインで乾杯。
ママンはシーフードスペシャルなソムロー。ひでのふはロクロクとカンヴォジアン
アペタイザーを頼む。このおつまみは小エビのから揚げ、カシューナッツ、ラッキョウ
瓜の酢漬けの盛り合わせだった。エビはまんまカップヌードルに入っているエビの味。
ラッキョウと酢漬けはあまり好きじゃないのでちょっと失敗だった。
ソムローは普通にうまい。ママンはハラが痛いので丁度よかったと嬉しそうだ。
ロクロクもうまいが、一緒についてきた生ライムを搾ったすっぱいソースをつけて
食べるとなおさらうまい。
ウエイターがオリゼーに興味を示したので、
「She is my mother. and He is my father」
とか言ってやったら軽くウケていた。
近くの店をひやかして見ると、どこもハッピーアワーでビール0.5$で、何かの
ツマミが0.5$とか食事1$とか。ホントにガイジン向けの観光地かと
目を疑うほどの激安っぷりである。

帰りに昨日捕まったロータリーのロリの店に行く。水とコーラで1$。
ママンは用意していた折り紙のボールをロリとその兄弟に渡す。
折り鶴には興味を示さないコドモもボールには興味を示して遊ぶ。ママンもご満悦だ。
ホテルに戻り今日も一泳ぎしたあと、リゾート気分を満喫するためにママンを
プールサイドのバーに誘うが、ママンの仕度が遅すぎて結局行けずじまい。
そしてママンが昨日買ったオレンジを食べるが、あまりおいしくはなかった。
ネットを使いに行くと中国人が先客としていたので、英語で話しかけプレッシャーを
与えるとなぜか無言のまま、すぐに席を空けてくれたw
寝る前に日記を書いてから寝る。


【2010/12/19】 ママンとアンコール | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
思い出し旅行記 ママンとアンコールワット 12/1 スピードボートで癒されるの巻
朝は5時半起き、プノンペン行きのスピードボートの迎えが6時過ぎってことなので
急いで朝飯を食ってピックアップを待つ。しかし6時を廻っても迎えが来ない
ホテルの人が心配してくれてスピードボートのオフィスに電話を掛けてくれる。
何でもとりあえず来るまで待てとのことなので大人しく待つ。結局迎えが来たのは
7時過ぎとかカンヴォジア時間にも程がある。ホテルの人に重々お礼を言って去る。
ひでのふ一行を乗せたピックアップのバスは、それから2件ほど別のホテルに
立ち寄ったが誰も乗らず、結局我々がピックアップバスの最後の乗客になった。
30分程バスが走ると桟橋に着く。桟橋は割りと新しい建物で、隣にもう一棟建物を
建てていた。乾季は乗り場からスピードボートまで、ボッタクリ小舟で乗客を運ぶと
いう噂があったが、そんなものはなく、普通に桟橋からスピードボートに乗船。
桟橋の周りには朝食売りのお姉ちゃん達が沢山いるので、
朝食に困ることもないようだ。

スピードボートは我々乗せたらすぐに出発した。乗船率は4割といったところか。
クーラーは予想通り効き過ぎていたので、ママンもひでのふも少し着込む。
乗客のホトンドは白人で、カンヴォジア人はお母さんとそのコドモだけだった。
出発から30分ぐらいは水上集落を見ることができ、ガイジン慣れしている集落の
人々はボートに向かって手を振ってくれるのが心地よい。
それから先はずっと水平線が続き、しばらくしたらさすがに飽きたので一眠り。
小一時間経った後に舳先の方へビデオを撮りに行くと、油断しきった白人の姉ちゃんが
襟口からオパーイ丸出し状態で寛いでいたのでじっくり観賞させてもらうw
まあブラはしていたのでティクヴィーまで見えたわけではないのだが。
その様子を見ていた別の白人姉ちゃんが、襟口を上げろと注意していた。

居づらくなったので舳先の右舷側に回ると、今度はオーストリア人のおっさんと
仲良くなる。おっさんは奥さんと娘を連れているそうで、
丁度そこにママンが現れたので軽く紹介してやる。
おっさんは日本もかなり回ったようで、中野に行ったと言うので一体中野に何をしに
行ったのかと聞くと、中野ではなくて長野オリンピックを見に行ったのだそうだ。
ママンはそのあと、おっさんに折り紙を進呈していた。
しばらくしてもう一度舳先に行くと、今度は別の油断しきった白人姉ちゃんが
パンテーラ状態でねっころがっていた。
その様子を見たママンは「白人さんは大胆ねぇ」と感想を漏らしていた。
一方ひでのふはそれらの様子をヴィデオで撮影する度胸はなかった。

しばらくするとどこかの街で船は止まり、カンヴォジア人親子はそこで降りていった。
段々水平線が途切れ始め、完全に川になった後で段々街が開ける様子がわかる。
そしてこの川に最初にかかっている橋をくぐるとプノンペンに着いた。
結局5時間半ぐらいかかったが、ボートは全く揺れずに快適だった。
ママンはひでのふの目が赤いと言い出し、
それからひでのふはなんとなく目に違和感を覚えるようになる。

ボートが到着すると早速ポーターが勝手にひでのふの荷物を運びはじめ、
やはり船着場で今日の獲物を探しているトゥクトゥク運転手に捕まる。
ポーターは1$と言うので、まあ税金かなと思い快く支払うが、トゥクトゥクは
ホテルまで5$とか言い出すので3$までまけさせる。それでも高いと思うが。
ホテルは少し入り組んだ路地を入ったところにあるのだが、トゥクトゥクはちゃんと
ホテルの前まで行かなかったのもちょっとむかつく。
ホテルは普通の家のような玄関を開けると、そこには別世界が広がっていた。
このサプライズ感は悪くない。ホテル到着は14時で、早速チェックインすると
ウェルカムドリンクのライムジュースを持ってきてくれる。
丁度喉が渇いていたのでこれはありがたすぎるサービスだった。

荷を解き、早速サイゴン行きのバスの切符を買いに行く。手元にプノンペン市街の
地図が載っているガイドブックが無く、船に忘れてきてしまったようでガックリする。
とりあえずロビーでしょぼい市街地図を手に入れてから街に出る。
街をじっくり見てみたかったので、むずがるママンを連れ歩いて街を進む。
プノンペンの地図を頭の中に入れていたおかげもあり、バスの切符売り場には迷わず
到着する。日本で印字した予約票を見せ、軽くいくつか窓口をたらいまわしにされる。
窓口のお姉さんに「一番豪華なバスに乗りたいよ」と言うが、理解してもらえない。
おそらく全部同じバスと言うことなのだろう。切符は無事発行され、二人で18$。
どうも一番乗りだったようで、入口近くの一番前の席を陣取らせてもらった。

それからソリヤのデパートに行き、一番上の階のフードコートで昼飯にする。
ひでのふは謎の肉鍋麺 8000R を選択。フードコートの店にはどこもサンプルを
置いていてガイジンでも選択しやすいようになっているのはいいのだが、
サンプルと実物が別物とゆーのはとても困る。サンプルはかなり量が多く見えたのだが
実際は丁度一人前で、ママンと二人で分けて食べようと思っていたのに、
ママンに分けてあげられるほどの分量ではなかったので、ママンも別に昼飯を買いに
行かせる。ママンは結局ひでのふと同じ店で海鮮鍋麺を選んでいた。
ひでのふはそれとオレンジシェークを買う。4000R 。なぜか日本語が少し通じた。
逞しいお姉ちゃんがその場でオレンジを一生懸命絞ってくれる。
謎の肉鍋麺はそのまま食べるとやさしい味だが、唐辛子系の調味料を一通り入れて
みたらなかなか凶悪な味になったw
ママンはまだハラの調子が悪いようで、そのままで丁度よかったようだ。

飯の後はクーラーの効いたソリヤデパートの中をめぐることに。
ホテルにサンダルが無かったので買う。どうも値切りはできないようで9$。
タイ製のサンダルは高いだけあってなかなかの履き心地。他のサンダルも
10$以上する高いものが多く、やはり高級店ということなのだろうか。
ママンはえびちゅのお土産にサンダルと買おうとするものの、良い物はなかった。

それからプノンペン駅へ。なんと入口はシャットアウトされていた!
入口の門番を拝み倒して入れてもらおうと思うが、ニガ笑いするだけで結局入れて
もらえなかった。賄賂でも払ってみようかとも思ったが、
賄賂を寄越せってジェスチャーがなかったのでそれはしないでおいた。
塀の内側にある、貨車と客車が少しだけ見ることができたが不満は残る。
次は丸いドームのセントラルマーケットに向かうが、
17時で閉まってしまうようで中に入ることはできなかった。
帰りはトゥクトゥクで帰る。3$を2$に値切っても快く行ってくれる。
まだガイジン価格だろうがこのくらいなら十分許容範囲だ。

ホテルに戻るとガイドブックがあって一安心。晩飯はママンの要望で子牛の丸焼き
ではなく、シソワットキーのオサレな店に行くことに。
一番ハズレがないであろうと言うことでFCCプノンペンに行く。
眺めのよい窓際の席は、みな酒をちびちびやっている白人にすでに占領されている。
2Fはエアコンかなと思ったがやはりここも風の強すぎるファンだった。
ハズレは無いだろうというつもりで行ったのだが、実際は大ハズレで大変むかつく。
まずハッピーアワーと言う事でグラスワインを頼むが、
値段も半額だったが量も半分だった。ウエイトレスにはこちらの英語も通じなければ、
向こうの英語も何を言っているのかよくわからない。そのくせ英語もロクに使えない
非文明人とでも思っているような仏頂面で応対される。

ママンの頼んだ海鮮カレーは、旅行中に食べたカレーの中では一番うまかった。
ひでのふの頼んだチキンステーキも値段に見合う味だったが、
メインプレートなのにパンもライスも付いてこなかった。
パンを寄越せと言うと、しばらく放置された後催促してようやく持って来たかと思うと
隣のテーブルに持って行きやがった。もちろん別料金。
お勘定もなかなか人が来なく、よっぽど食い逃げしようかとも思った。
支払いもJCBで大丈夫かと聞いてから渡したのに、レジまで持って行ってから
やっぱり使えませんと言われる始末。アンケートがあったので怒りの叫をぶつける。
これで28.5$は絶対高いと思った。人種差別でもされたかと思ったが、日本に
帰ってからこの店の評判を調べると、白人連中でも似たような目に遭わされていた。
やはり窓際で酒をちびちびやるのがこの店の正しい利用方法だったようだ。

むかついたままシソワットキーをぶらつく。近くの屋台のジュース屋でスティングに
氷を入れて貰って飲む。2000R 。ジュース屋で働く兄弟を写真にとってやると
二人ともはにかんで笑うのでとてもなごむ。スティングはカキ氷シロップ(イチゴ味)
の炭酸割りだ。氷はたっぷり入っているのに全然冷たくならないのもポイントだ。
シソワットキーから独立記念塔方面を見ると、なんかライトアップされている風なので
そっちに向けて歩くが一向にたどり着かない。地図も持ってきていないので、
あとどれくらい歩けばいいのかもわからないので途中で諦めて帰ることにする。
帰る途中でちょっと暗い道を通り、話しかけてくるバイタクにビビる。帰り道、
ママンは生ごみが路上に放置されている街の汚さに軽くダメージを受けていた。
今日もプールで一泳ぎ。目に少し違和感があったので顔はつけずに泳ぐ。
そして日記書いて寝る。



【2010/12/20】 ママンとアンコール | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
今月の密林 2010/12
今月は色々とリリースが重なったため、アフタヌーンと単行本5冊です。

ちなみに、フレキシブルビットと墨つぼは AMAZON では買いません。

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【2010/12/21】 アフィリエイト | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
思い出し旅行記 ママンとアンコールワット 12/2 子牛の丸焼きを食べるの巻
朝起きるとまだ目に違和感があったが、随分軽くなっていた。
目やにはかなり多く出ていた。今日はそれほど気合を入れて観光するつもりはなかった
ので、朝はゆっくりのつもりだったが結局8時に朝飯。
パパイヤジュースとフルーツは良いが、メインのパンが暖かくないのがイマイチか。

ホテルの前で屯しているトゥクトゥクで、まずはトゥールスレン博物館へ。2$。
博物館へは修学旅行生が次々と入っていったので、それにまぎれて入り込んで
しまったが呼び止められてちゃんとカネ払わされたw。二人で4$。
トゥールスレンはまずは左手のA棟からじっくり見て回るが、
ママンは1階の時点で簡単にくじけて木陰のベンチで待つと言う。
旧政府高官が拷問されるのに使われたと言うベッドはそれぞれに意匠があり、
趣向が凝らされているのが興味深い。
もちろん写真ではマットなしで直接拘束具で鉄のフレームに括り付けられているが。
2階と3階の部屋は、1階の部屋が広くなっただけでそれほど見所はない。
もちろんその部屋で撮られた死体写真はちゃんと展示されているのだが。

B棟はクメール・ルージュの構成員であるコドモと犠牲者の写真が展示されている。
いくつかの写真は同じ写真で水増しされているようだ。構成員の写真にも犠牲者の
写真にも、えび柿と同じぐらいの年頃の女の子がいるのはショッキングだった。
C棟は一般犠牲者用の独房。狭くて暗い。一体トイレをどうしていたのかとても
気になる作りで、収容したらトイレに行く間もなく粛清されたから問題なかったって
話だったりするのだろうか?

D棟は犠牲者の骸骨や拷問具の展示。
拷問具は拘束具以外は、専用の道具がないのが共産主義風ってことなのだろうか?
剣スコップで顔を刺すのは漫画の世界だけだと思っていた。
骸骨には致命傷となった箇所を解説するプレートがあり、生々しい。
クメール・ルージュ構成員の生き残りのインタビューもこれまた興味深い。
映画も上映していたようだが、さすがにこれはママンが待つので諦める。
喉が渇いたので館内でコーラを求めるが、1$と言われたので諦める。
トイレは紙はないがおけつシャワー付きで清潔だった。また、B棟裏手に
新しいトイレを建設中の様子が伺えた。

次はトゥクトゥクでオルセーマーケットへ。2$。当然のようにキリングフィールドは
行かないのかと言われるが、ママンが嫌がるので諦める。
オルセーマーケットは3Fまであってセントラルマーケットより品揃え豊富。
しかし、日用品だの肉だの魚だの生きた鶏だの、観光客には関係ないものが多く、
結局コーラ 2000R を買っただけだった。
ママンはカステラ 1000R とヤシ砂糖 1500R を初めて自分で買って喜んでいた。
本屋で本でも買おうかとも思ったが、食指が伸びなかった。

そこから歩いてセントラルマーケットに向かう。ガイドブックによれば途中にあるはず
のレストランがなかったので、別の鴨肉麺屋に入る。1杯 9000R でちとお高い。
調子こいて調味料のプリッキヌーを一本齧ったら後で下痢した。
セントラルマーケットでは入ってすぐの店でカンヴォジアンゼリー 2000R を速攻買う。
中に入ると宝石屋ばかりであまり興味を引くものはなかったが、
その奥で靴下を発見したので、片方無くして使えなくなった靴下の補充をする。2000R 。
昨日のソリヤ百貨店でも靴下だけ売っておらず難儀したのだが、
カンヴォジアでは靴下は靴屋で売られるもののようだ。

次に昨日ソリヤ百貨店で買ったサンダルを発見した。ここでは7$で売られており
ショック。ママンはここでえびちゅのお土産にサンダルを買っていた。7$。
さらに奥でうまそうなサトウキビジュース屋があったので買う。2000R 。
カンヴォジアのはタイのに比べるとちょっと高い分、オレンジと氷がしっかり入って
いるのでカンヴォジアの方がうまい。さらにカンヴォジアスイーツも売られていたので
買う。2000R 。ナタデココ風の寒天にココナツミルクと氷が入っていてうまい。
お土産屋の一角では、ママンがシェムリアップで買ったのと同じ象の財布が売られて
いて、言い値1$が立ち去るとすぐに半額になってしまう。
親子で経営するお菓子屋でカンヴォジア飴を買うと二袋で5$と言われる。
ここまでボッタクリがなかったので、油断してついこの値段で買ってしまう。
トイレの出口にある洗い場でコドモを丸ごと洗っているお母さんを見た。

またトゥクトゥクにのって国立博物館へ。2$。国立博物館は二人で6$。
ちなみにビサールが言うには、博物館の展示物はプノンペンより
シェムリアップの方が充実していると言っていたが。
傍若無人な白人も、なぜかここでは写真を撮っていない。
よく見てみるとなぜか写真を撮影するなら別料金と言う看板がある。
博物館の中では係員が花を配って寄付を強制していた。1回 2000R。
これは1回だけかと思っていたら、途中で何度も出てくるので2回目からは無視した。
展示物はアンコール遺跡ではあまり見かけなかった彫像が、ここには沢山ある。
弥生時代っぽい土器の展示や、近代の王室関係の遺物も展示されている。
結構疲れたので、敷地の中のコーヒーショップでひでのふはコーラを、
ママンはミルクコーヒーを頼んで一休み。各自1$づつ。
市中より 2000R 高いのはどうも椅子代ってことのようだ。

次は王宮とシルバーパゴダへ。入場料6.25$は現地の物価水準から考えれば
激高だが、クメール人にとってのワット・プラケオみたいな場所なので仕方がない。
薄着のガイジンはさらに5$程度で布を買わされている。
モギリの係員に日本語のガイドを勧められたが、これはいらないかなと思って断る。
中に入ると綺麗な花を咲かせる木があって、これが印象的。
まずキンピカリンの即位殿。ここの奥からは王宮が見え、赤い絨毯が敷かれ
数人のSPがウロチョロしている様子が伺えたが、残念ながらVIPを拝むことは
できなかった。

次はシルバーパゴダへ。ママンは帽子を取らずに中に入り係員に注意を受けていた。
そしてシルバーなのにここもキンピカリン。ここは外周の壁一面にラーマーヤナが
描かれているのだが、あまりに長すぎて全部見ることはできなかった。
ママンは敷地内の植物が珍しいと言って興味深く観察しているようだ。
シルバーパゴダ内には塔が4つあるのだが、どれも仏教式やヒンズー教式など
様式がそれぞれに異なるのも興味深い。
敷地の外側はちょっとした博物館になっていて、
今の王様の即位式を説明するためだけに別の棟が新設されていた。
他にもアンコールトムで行われた王室始耕祭の様子がビデオで流されていたり
王室関係の遺物は博物館よりずっと充実した展示を見ることができた。
帰りは疲れたのでホテルまでトゥクトゥクでサクッと帰る。近いので1$。

晩飯は昨日見つけておいた、ホテルから近い場所の子牛の丸焼き屋にする。
国立博物館へ行くトゥクトゥクから見かけたときに、
新しい子牛の死体を串刺しにしている様子が見えた店を選んだ。
丸焼き屋は英語がホトンド通じないが、値段が書いてない英語のメニューが出てきた。
どうもオカマの店長だけは少し英語を話すようだ。
とりあえず丸焼きを2皿と、ご飯と生野菜とビールを頼んだ。
丸焼きは一皿に優に 400g は盛られていて、ご丁寧に肉の下には野菜もあった。
ひでのふ二人なら丁度いいが、飯を残すのに躊躇しないママンと一緒では多すぎた。
それでもママンにも少し無理して食わせてなんとか肉だけは全部食べた。
ウェイトレスの一人が我々を気に入ってくれたようで、何かと面倒を見てくれて
助かった。ただし、後から持ってきてくれたスペシャルなタレは不味かったが。
肉は脂肪の少ない肉なのだが、子牛なので柔らかくとても食べやすかった。
これだけ食べて12.5$で、その上なぜか12$にまけてくれた。
メニューに値段は書いていなかったが、結局ボッタくられることはなかったようだ。
帰りがけに雑貨屋で明日の朝飯のために、ママンがクラッカーとお菓子を買っていた。
合わせて1$。

ホテルに戻ってから、カンヴォジア最後の夜とゆーことで、ママンとホテルのバーで
一杯ずつ飲むことに。隣がはにぃだったらもっとよかったんだが。
ひでのふはB52。ママンはコーラを注文。カクテルを作るときにバーテンの姉ちゃん
がウォトカの内蓋が開かない開かないと色々頑張っていた。結局誰も開けることが
できなかったのでひでのふに貸してもらうと、何のことはない、最初から内蓋には
小さな穴が開いておりひでのふの手はウオトカで濡れてしまい、みんなで大笑いした。
B52はカルアミルクみたいな甘いカクテルなのだが、ウォトカが効いてとても強い。
残念ながら火はついていなかったが。ママンはコーラを飲むのは数年ぶりと言う。
ここでもオリゼーお父さん説を披露するが、あまり反応がなかった。
ママンはまたハラが痛いと言って先に部屋に戻って行った。

また今日もプールでひと泳ぎする。部屋のシャワーを浴びたらママンがひでのふの分の
バスタオルまで洗濯で無断で消費していやがったので取りに行かせる。
そして蚊を沢山殺してからゆっくり寝る。


【2010/12/22】 ママンとアンコール | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
思い出し旅行記 ママンとアンコールワット 12/3 またヴェトナムでしてやられるの巻
nariking_m.png


夜は色々あって何度も目が覚めてしまった。それでも5時半には起きて仕度。
ママンにも少しよい服を着るよう指示してそのようにしてもらう。
フロントは6時から営業なので6時にチェックアウトすると、
なぜか送迎車に乗せられた。ソリヤトランスポートに行くのか?と言うも、
何か要領を得ない。時間は押し気味だったが出発。
しかしなぜかバスターミナルは通り過ぎ、空港へ向かっているではないか!
気が付いたところでちょっと待って!と言ってバスターミナルへ向かってもらう。
どうも別の中国人ご一行の仲間だと勘違いされていたようだ。
それでも無事バスターミナルまで送り届けてもらう。
思いがけずトゥクトゥク代が浮いたw

バスターミナルでは早朝にも関わらずパン屋が営業していたのでパンを2つ買う。
4500R。一つは栗餡のクリームコロネで、クリームがちょっとおいしくない。
バスはクーラーもリクライニングもちゃんと効くしっかりしたバス。
案内の兄ちゃんの英語も聞き取りやすい。
少し年季は入っているが、半日程度の移動であれば全く苦にならないレベルだ。
バスは定刻の10分遅れ程度で出発。橋を渡りプノンペンを出てしばらく進むと
未舗装と言うか、工事中の道路をしばらく通ることになった。
これがかなりのガタガタ道でスピードも上がらず、かつてカンヴォジアを旅行するには
全てこんな道だったのであれば、かなり大変だったんだなあと思った。
ガタガタ道が終わると、今度はフェリーに乗換えである。フェリーにはバス、トラック
車バイク人間だけでなく、なんと現役で使われている馬車まで乗せて運行している。
途中の街では大き目のバイクがボートを荷台に改造したものを引く、屋根なしの
トゥクトゥクをみた。おそらくバスが通えない離村に行くのに使われるのだろう。
フェリーを降りるとそれからは快適な道を進む。途中メコンエクスプレスの
日本製バスにあっさり抜かれ、GSTのバスともしばらくデットヒートを繰り返して
いたが、結局置き去りにされてしまった。

国境の手前の食堂で停止し、案内の兄ちゃんが国境越えの手続をしている間に
我々は昼飯を食べるというわけだ。無料かと思ったがあまり欲張らず取ったのだが
結局有料だった。おかず3皿とご飯二人前で5$はちょっと高いと思う。
カンヴォジアの出国はガイジンが写真を撮られただけで終了。2枚目のヴィザは
使わなかった。それからまたバスにのって少し先のヴェトナムの国境へ。
ここではロシア人ツアーに釣られてイミグレをパスしてしまった。
しかし、イミグレの裏側で所在無く待っていたら、入国スタンプが押された
我々のパスポートがちゃんと帰ってきた。ベトナム入国時に一応荷物検査と金属物検査
があるが、どちらもザルだ。ゲートがビービー鳴っていてもお構いなしである。

バスの終点はファングーラオ通りだった。そこで勧められるままタクシーにのる。
タクシーは安全と言われる MAI LINH グループのタクシーに良く似たタクシーで
事前交渉も何も無しにメーターを使い始めたので、まあ同じなんだろうと思った。
3年前にホーチミンに来たときは、このタクシーでえらい大変な思いをしたので
3年でヴェトナムも随分よくなったんだなあと安心していたが、

ぜんぜんまったくそんなことはなかった!

メーターは改造メーターで、米弗払いは出来ないからと銀行で両替している数分
あいだに、どういうことか 200000 VND から 600000 VND に上がっている。
そして最初はフレンドリーだったドライバーも付いた途端無口になり、
ホテルの前までちゃんと送っていかず、人通りの少ないところで降ろされた。
結局メーター通りに支払わざるを得なかった。トランクには荷物が積んであったので
降りて逃げると言う選択肢が取れなかったのだ。
ここまでキレイにボッタクリを決められたのは、実に10余年前に韓国の慶州で
4000円のバカ高い陶器の湯飲みを買わされて以来なのであった。
カンヴォジアでは、話しかけてくるドライヴァーも別にボッタくらないので
まったく警戒していなかったのだが、ここはヴェトナムだ!と強く思い知らされた。

仕方ないので少し歩いて例の川沿いの適当なホテルにチェックインする。そして
我々がVIPだとわかると、すぐに18階のVIP専用レセプションに案内される。
少しよい服を着たのは、このときの対応があるだろうと思ったからなのであった。
レセプションの姉ちゃんはヴェトナムなまりの強い英語を話すので、
何を言っているのかよくわからない。クレジットカードをレディーカーと言われても
何のことやらさっぱりである。
反面、ひでのふの日本なまりの英語も分かりにくいようだ。

非常に苦労したがなんとかチェックインする。
そしてVIP専用クラブラウンジで一服。ぱすこんがあったのでヤギ鍋屋を探すが
ことごとくポルノチェックにひっかかり全然探すことができなかった。
仕方がないのでフロントでヤギ鍋のおいしい店を教えてもらい、住所を書いた紙を
くれた。これをタクシーに見せれば行けるとのこと。ついでに明日の予定として、
クチトンネルとカオダイ教のツアーを申し込む。ホテル内のツアー会社だと、
なんと一人89$も取られるのだが、外のツアー会社で一人 350000VND のツアーを
紹介してくれたので申し込む。

部屋はシティービューとは言うが完全にウォールビューでそれほど広くはない。
アメニティはなぜか液体石鹸が超充実しているが、歯ブラシと髭剃りがない。
一旦部屋で着替えたあと空港行きのバス停を探しに、ホテル前のロータリーを
ぐるぐる回る。2周してみつからないところでママンがブーブー言い出したので
仕方なくホテルで教えてもらった。ホテル近くのバス停からは、3年前と違い空港
行きの152番のバスはもうでていないようなので、一旦1番のバスでベンタインの
ターミナルまで向かう。二人で8000 VND。
さすがにベンタインのターミナルからは152番のバスが出ていることを確認した。

次にターミナル前のベンタイン市場へ。ママンはバイクの洪水にビビっている。
何も買うつもりはなかったのだが、思わずヴェトナムのブルーマウンテン「ダラット」
の豆があったので買ってしまう。1kg で 600000 VND。ちなみに普通の豆の3倍である。
ついでにTシャツ 30000VND も買ってしまう。3年前と違い、半分ぐらいの店で値札を
付けて商売をしているので、交渉がいらずとても快適な買い物だった。
レロイ通りを歩いて国営百貨店に行く途中でタンタンのパチもんTシャツが露店で
売られていたので思わず買い求めてしまう。露店のおばちゃんは最初 60000VND と
強気の値段を出してきたが、40000VND で落ち着かせた。しかし、100000 VND札で
お釣りを貰おうとすると、50000VND しか出してこないのがベトコンのやり方だ。
結局そこからなんとか 5000VND 取り返したが、とても後味が悪い。
国営百貨店は相変わらずの先進国仕様で快適である。勝手知ったるなんとやらで
ママンにもクロークで荷物を預けさせて店内へ。ここではコドモへのお土産として
ヴェトナムゼリーと、高級ニョクマムと、喉が渇いていたのでジュースを買った。

そこからタクシーでヤギ鍋の店へ。タクシー代 28000VND 。最初入った時は時間が
少し早いこともあり席に余裕があったが、しばらくするとすぐ満席になった。
英語のメニューもなく、英語も通じない店だが辛うじて「らういぇー」だけは通じて
他は何を言っているのかわからなかったので、同じヤギ鍋を食べてるテーブルを指差し
なんとか意思疎通に成功する。もちろん「ばーばーばー」はばっちり通じた。
しばらくするとヤギ鍋が出てきた。ついでに謎肉3皿と麺2種類と野菜がたっぷり。
店のおっちゃんが色々面倒を見てくれたが、無愛想なのでなんとなく急かされている
感じもしないでもない。結局日本の鍋のように、締めの麺が最後とかいったルールは
無いようで、好きなものを鍋にぶち込んで、煮えたら食べればよいらしい。
ヤギ肉はホトンド臭みはなく、ママンもこれはうまいとばくばく食べている。
暑いホーチミンで熱い鍋をばくばく食べていたら、二人とも汗びっしょりになった。
氷入りの333をぐーっと飲み干し、腹いっぱい食べて 220000VND。

帰りもかったるいのでタクシー。48000VND。タクシーを探す間にサイゴンツーリストの
タクシーが声を掛けてきたが普通に無視する。ホテルに戻りママンはすぐにシャワー。
ひでのふはVIP専用プールへ行った。プールはしばらく居たら貸切になった。
プールからの夜景が凄いから見て来いとママンを行かせると、ママンは他の日本人に
声をかけて少し喋ってきたようだ。なんでもこんな旅慣れていなさそうなママンが
ツアーでなく一人でこのVIP専用プールにいたのにびっくりされたらしい。
寝る前にまたVIP専用ラウンジに行ってワイングラスを傾ける。
もちろん貧乏人が多く住む2区行きのフェリーを眺めながら
「ふっ...愚民どもめ...」VIP専用のセリフをつぶやくことも忘れない。
ワインの提供は9時半で終了するとのことなので、みな最後の一杯を一斉に取りに
くるのは、あんまりVIPらしくないかもしれないが。
そして、ママンはひでのふが歯を磨いているときに掛かって来た電話に、
完璧な日本語で応答していたw
用事はツアー会社に支払いが完了したのでレシートを持ってきてくれたのであった。

【2010/12/23】 ママンとアンコール | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
思い出し旅行記 ママンとアンコールワット 12/4 生涯最悪の下痢腹をかかえるの巻
今日はツアーなのでちょっと早起きする。朝飯はクラブラウンジで頂く。
ひでのふはウェスタン風をしっかりチョイス。ママンは果物だけだが
赤いピーマンのような見慣れない果物をチョイスしていた。
一口頂いてみたが、あまり味気のあるものではなかった。
7:45に部屋にお迎えを知らせる電話が掛かってくるとのことだったが
かかってこない。お迎えの電話が着たら5階に移動せよとのことだったが、
5階にも誰も居ない。18階のレセプションで訳を話し、すでにホテル前に
バスが来ていることを確認する。無事バスにのると、まずは旅行会社に向けて行く。
そこで今日のツアーに向かうバスに乗り換えることになった。
ママンはここで水を買っていた。5000VND。
ちなみに旅行会社で両替したほうが少しレートがよいようだ。
そして今日参加するツアーの値段がたったの6$であったことを知る。

バスは8時過ぎには出発する。ガイドの兄ちゃんはゆっくりした英語で話して
くれるのでとてもわかりやすい。一通り演説が終わったあと思わず一眠り。
起きたらまずは障害者が働く手工芸品の店へ。お土産屋で売られている手工芸品は
どうもここで作られているものが多いようだ。ひでのふは下痢気味だったのでまず
トイレへ。ママンに色々言い含め、自分へのお土産として貝のブローチを買っていた。
25$。そしてガイドの兄ちゃんは店からマージンを貰っていた。
ママンが貝のブローチを買うとき、両手首のないおっさんがクレカの売上票を
器用にめくり分けている様子が印象的だった。

片道4時間かけてようやくカオダイ教の寺院に到着。片道4時間かかった割には
観光時間が40分しかない。ひでのふはまず即トイレ。なんか熱っぽい。
その間ママンは一人で寺院内を見学し、一旦行方不明になってちょっと焦る。
12時丁度からカオダイ教の礼拝が始まる。ガイドの話では白い服は一般信徒で
色つきの服を着るじいちゃん達が幹部であるとのこと。礼拝の時に顔の前で手を組み、
組んだ手を横に動かして左目を見せる仕草が印象的だ。寺院内にはヴェトナム風の
音楽が演奏され、それに併せて賛美歌が歌われながら儀式が進む。
残念ながら時間的制約もあるので礼拝を最後まで見ることはできなかった。
そして出発前にもまたトイレ。かなりやばい

そこからバスで少し移動して食堂へ行く。ひでのふはエビラーメン。ママンは
チキンスープを頼む。我々は注文量が少なかったらしく、揚げ春巻きも出てきた。
残念ながら下痢がきつくて食欲がまったくないのでホトンド残してしまう。
ママンは味が薄くてマズいと言ってこれまた残していた。
ツアーには昼食代も含まれていたようで、食事代は支払わなかったのだが、
他の連中はビールだのジュースだの頼んだ分の別料金を支払っていた。
ひでのふも水を一本もらっていたのだが、何故かお金は取られなかった。
食堂でも着いてすぐトイレ。そして出発前にもトイレ。さらに熱っぽくなってきた。
幸いにも菊穴に強烈な圧力がかかる緊急事態になるようなことはなく、出したい時に
いつでも出せる状態で「これがスカトロ男優なら重宝されただろうなぁ」と、
女の人も見ているこのブログではとても書けないようなことを考えながらバスは進む。

バスは裏道を猛スピードで突っ走る。ヴェトナムのいいところは裏道でもちゃんと
舗装がされているところだ。ママンが車窓から「大麻が生えてる!」と言っているが
パパイヤかも知れないと言っている。ひでのふにも大麻に見えなくもない草が
生えているように見えたが、ひでのふは実物を見たことがないのでよくわからない。
一時間半ぐらいでクチトンネルに到着。他の連中は全員入場券を買わされていたが
我々の分は支払ったツアー代に含まれていた。6$のツアーに 350000 VND と言うのは、
ホテルの手数料と送迎料とトンネル入場料と全て含まれているからこの値段なのだろうと
理解した。クチトンネルはもっとしょぼい場所かと思っていたが、
ベトコンの戦いっぷりを人民に教えるための施設になっていて
ヴェトナム戦争のゲリラ戦を体系的に解説する見所の多い場所だった。
正直あんな狭くて暗くて暑い穴蔵に入ってベトコンぶち殺してこいって言われた
ジャーヘッドに気狂いが続出したのもわかる気がする。
色々なブービートラップやクソ長いトンネルも、殺傷効果と言うより、
モチベーション減少の効果の方がずっと高いと思った。

場内の一番奥には軍の射撃訓練場があり、そこではガイジンでもカネさえ払えば
AK-47をぶっぱなせるとゆーステキ施設があった。ツアーに一人で参加している
メリケン人が挑戦していた。射撃場の脇のお土産屋では発射音に驚いた小さなコドモが
泣いているようだ。ひでのふも撃ちたかったが熱でもうグロッキー。
もはや写真を撮影する気力すらない。気分はビルマを転進する日本兵だ。
それでも根性で最後にあるトンネルはくぐった。なぜかトンネル出口で同じツアーの
スペイン人姉ちゃんのグループに写真を撮られたw
中国人の若者軍団のはっちゃけ振りはツアー全体のムードメーカになっている。
そんな中でひでのふは、ついにトイレで米のとぎ汁状の物体が排出されるようになり
「コレラとかまじやべー」とかなりブルーになっている。

さらに2時間かけてホテルへ。しかしガイドは我々を市民劇場の近くで降ろし、ホテル
まで5分ほど歩かされた。とりあえず全員にさよならを言ってなごやかに別れる。
軽く迷うが昨日ホテル近くをさまよったお陰でちょっと遠回り程度でホテルに着く。
本当はこの後わざわざ日本から持ってきたVIP専用スーツに着替え、
ホテルのVIP専用レストランでVIP専用晩飯を食べ、VIP専用ラウンジで
一杯引っ掛けた後、最後はVIP専用のプールサイドでグラス片手に
またまた「くっ...愚民どもめ...」とVIP専用セリフをつぶやく予定が

全部パー。

仕方がないのでママンはラウンジに行って晩飯を食べてもらう。ひでのふはその間
ぱすこんで自分の状況を調べる。コレラなら体温はむしろ下がり、下痢も
1日10リットルぐらい出るってことから、コレラではないようで一安心する。
コレラでないとして、潜伏期間で逆算するとおそらく昨日の

氷入り333一気飲み

が原因なんだろうなあと、うすうす思う。
喉が渇いていたのでコーラ一気飲み。トイレはすぐそばにあるから問題ない。
グロッキーなひでのふは荷造りから洗濯まで全部ママンにやってもらう。
腰が痛いと言えばマッサージもしてくれたし、喉が渇いたと言えばラウンジから
ライムを2切れほど失敬してきてくれた。一切れ床に落として台無しにするのも
ママンらしいが。そしてライムジュースを水で割ったものを飲んだが、
これがカラダが痺れるほどうまかった。お陰でグロッキーがかなり改善された。
ホテルから体温計を借りるべく電話する。英語で「clinical thermometer」をくれと
言ってみるも全く通じない。すぐに日本人オペレータに代わってくれたので
無事体温計を借りることができた。水銀の体温計なんで何年ぶりに見ただろうか?
体温を測ると38.8℃。飯はホトンド食べていないのにおなかは空かない
入れているよりも出ていくほうが多い状態だが経験的にこーゆーのはダイエットには
ならないことを知っている。日記を書く余裕もなく寝る。

【2010/12/24】 ママンとアンコール | トラックバック(0) | コメント(2) | page top↑
思い出し旅行記 ママンとアンコールワット 12/5 おうちに帰るの巻
夜は熱とトイレでホトンド寝られなかったが、幾分改善したのが実感できる。
7時にラウンジに行って朝飯。ひでのふはフルーツとヨーグルトを食べたが、
乳製品は下痢に良くないことを後から知る。
8時にチェックアウトし、ホテルからはバスを乗り継いで行くつもりだったが
まだ微熱が残る状態だったので安全を取ってタクシーで行く。
105000 VND だったが、空港道路の使用料ってことでプラス 10000 VND 支払った。

3年ぶりのタンソンニャット空港は前回よりずっときれいになっている。
ただ広さ自体はあまり変わらない感じだ。中華航空のカウンターはなぜかビジネスの
カウンターの方が混雑していた。カウンターは普通に日本語が通じた。
空港の中は免税店もちゃんと国際ブランドの店が林立している。
3年前は中古の家電製品が売られていたことを考えると隔世の感がある。
ママンはお土産屋で残りのドルを消費すべく買い物をしていた。
時間的には余裕があるのでラウンジへ。ここでは飯がしっかり食えるほど内容が
充実しているが、ハラがこの調子では食指が伸びないのが残念。
ひでのふはジュースだけ飲んでぱすこんルームへ。台数がとても多い。

台北行きのヒコーキはナローボディでビジネスはたったの8席しかない。
このビジネスも前の乗客がリクライニングすると後の乗客の離席の障害になるほど
シートの間隔が狭い。トイレに行くにも一旦通路側に座るママンに一度立って
もらわなければならないほどだった。ビジネスでこれならエコノミーはさぞ狭かろうと
思いを馳せる。ただ、シートの横幅だけはちゃんとビジネスクラスだ。
機内食はひでのふは鶏肉とトマトのフェットチーネ、
ママンはシーフードカレーを選択。メインの内容は
エコノミーレベルで器が陶器なだけ。前菜とデザートはちゃんと出るが。
ママンには悪いが、トイレに行きたくなったら困るので急かして食べてもらう。
行きの搭乗からは月が変わったので、機内免税店で中華航空のCAのフィギュアが
売られているようになった。買うつもりで声を掛けたが軽くスルーされる。
まあ、次のヒコーキで買えばいいかと思ったのでそのままにした。

台北に着くと乗り継ぎ時間が全然なかった。免税店でお約束のお土産を買い、
ラウンジで一服したらもう出発時間である。ひでのふがトイレに行っている間に
ママンは一人でラウンジで寛いでいて、成金が板に付いてきたようで微笑ましい。
しかし台北まで来るとラウンジも通路も日本人比率がぐっと上がる。
免税店でも日本語で話すのが当然とばかりの雰囲気を感じる。
搭乗口に行って見ると、ゲートが変更されていてちょっと焦った。

成田行きのB-747は今回も2階席。ジャンボはやっぱり広いなあと言うか
今度は広すぎて前のポケットに手が届かない
機内食はひでのふはビーフ、ママンは和食を選択。ひでのふのビーフはこれまた
エコノミーレベルだが、ママンの和食はなかなかよさげである。
免税品販売で今度こそはとCAのフィギュアを注文するがなんと売り切れ
考えが甘すぎたことを痛感する。それにしてもビジネスに乗ってるのに売り切れとは
一体どれだけ売れ行きがよいと言うのだろうか?

日本時間の8時に成田に到着。予定よりちょっと早い。
まさか入国審査に自動改札があるとは思わなかったw。次回はぜひ使おう。
熱ももう下がっていたので検疫でひっかかることもなく、税関も華麗にスルー。
スカイアクセス線のホームに行くが、乗客の大半はスカイライナーに乗ってしまう。
夜が遅いこともあり、結局青砥-泉岳寺-神奈川新町と4回も違う電車にのって
家に着いたときは11時半を過ぎていた。
ママンは時差の関係でそれほど疲れていないように見えたのが救いだった。



【2010/12/25】 ママンとアンコール | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
我が家の家計 2010/12
今月の増加分:-136805
今までの増加:143731
車の減価償却引当て:1055000
内200000を引き出し、195000 を東京都競馬に投資
内200000を引き出し、200000をFXに投資

今月は例のママンと成金旅行したのが原因でマイナスです。
あとは先月予告したカードの支払いが22万っつーのも大きいです。

来月はカードも支払いが14万ありますが、
旅費に含まれるのが4万で、寝室のテレビが5万ってところです。
それを考えるとカードの支払いは倹約できたほうかなと。

あとは、正月でどれだけ出て行くかだなぁ...
まあ動く予定があるわけではないのだけれど。
もう数万円単位の大きな出費のところは今のところ予定されていないし
年末調整もあったので、来月は期待したいところです。



【2010/12/26】 家計 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
マシン室を作る その7 ネジの交換
根太への防火塗料塗りは順調に進捗中なのですが、
その前に床上げを行うための部材(プラ木れん)に使われているネジを
ユニクロからステンレスにわざわざ交換します。

理由はウィスカ発生防止のためです。
まーネジも高いわけではないし、手間さえ掛ければいい話なので
やることにしました。このクソ寒い時期に屋内でできるし。

最初は、下図のよーに強力フレキシブルビットを使う予定だったのですが...

DSC04510.jpg







これがね、全然役に立たない。
結局キチンとネジに噛まなくてネジ頭削るだけw
フレキシブルビットの名誉のために付け加えておきますが、ネジ頭周りに
もう少し空間があれば強力な道具になったであろうと思われます。

仕方がないので足を外して、ロングビットで施工しましたw
いざ絞めてみると、インパクトじゃないと能力不足でした。
同じ穴に二回入れたら木ネジ噛まないんじゃないかと思ったのですが
これは杞憂だったよーです。

DSC04511.jpg







最初からこうすれば余計な道具を買わずに済んだとゆーのに...
相変わらず物知らずで素人丸出しなひでのふなのでありました。


【2010/12/27】 マシン室 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
旅行者下痢症 反省とまとめ
警告:ひでのふは医者ではありません。
内容を信じて酷い目に遭っても責任は取れません。


今回の旅行では、ヴェトナムで旅行者下痢症にかかりひどい目に遭いました。
よって、今回得られた教訓と、調べてみたことをまとめて書いておきたいと思います。

※ よかったらこれも読んでください。
旅行者下痢症 もう一度反省とまとめ

まず、旅行者下痢症の原因は大きく分けて4つあるそうです。(出典

(1)旅行の準備など、疲労による体調の変化。
(2)旅行中の不安やストレスなどからくる精神的な胃腸障害。
(3)渡航先の飲食物の違いによる一過性の胃腸障害。
(4)ウイルスや細菌あるいは寄生虫による病的なもの。


(2) に関しては、まあ慣れるしかないでしょうw
ちなみに脳の働きは腸に影響し、逆に腸の働きは脳に影響するとゆー話もあります。

ビオフェルミンは、(1)と(3)の一部、(4)の一部には効くと思います。

(1) の原因に関し、確実に疲労は腸内細菌の働きを乱し下痢の原因の一つとなりますが
ビオフェルミンを摂取すると腸内細菌の働きの正常化を期待することができます。
徹夜したときに屁がぶーぶーでると言う人は、ビオフェルミンを飲んでから徹夜して
みてください。腹のゴロゴロ感の違いが実感できると思います。

(3) の原因については、ビオフェルミンが効かないなぁと思ったのは以下の状況です。
 → 極端に辛いものを食べた。
  ピリッと辛いものぐらいなら問題ありませんが、水を飲みながらでないと
 食えないほどに極端に辛いものは後で必ず後悔します。
 → 冷たいものをぐいっと一気飲みした。
  暑い国でキンキンに冷えた炭酸が入っている飲み物ののど越しを味わうのは
 何事にも替え難い快感ですが、ホテルの部屋に帰ってからにしましょう。
  トイレの無いバスに乗る前とかは危険すぎますw

この場合、ビオフェルミンは効きませんが基本的に出したら治ります

日本と外国の水や食べ物の違いからくる下痢に関しては、
ビオフェルミンが効いている
感じです。
実際、ママンとカンヴォジア行った時に、同じものを食っているにもかかわらず
ビオフェルミンを採っていないママンは4~5日下痢っぽかったのですが、
ひでのふは大丈夫でした。

(4) に関しては、相当汚い水を飲まされまくってきたパキスタンでも
今回のヴェトナムで発症したような下痢には至りませんでした。
ビオフェルミンが効いていたのか、それとも単に運がよかっただけなのかは
よくわかりません。
ではビオフェルミンが明らかに効かなかった場合はどうなるのか...

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【2010/12/28】 病気 | トラックバック(0) | コメント(3) | page top↑
今月の屑株 2010/12
今月は以下の銘柄を売却

リンク・ワンを 8750円で 1株 +6910 円

うーむ。確かに株価が上がる要因はあったにせよここまでとはなあ。
どう考えてもこの株価は過大評価だと思うんだが...
まあ、久々に綺麗に勝てたからよしとします。


今月は以下の銘柄を購入

TLホールディングスを 1935円で 2株

TLホールディングスは Turbolinux とゆー昔有名だった Linux の
ディストリビューションを手がけていた会社です。
かつてはライブドア傘下にあった会社でもあります。

TLホールディングスとして上場したのが 2005 年なのですが、それからずっと赤字w
株価もそれに釣られて下がり続け、2005年9月には公募増資で 100000 円の価格をつけた
株価も、一時は1000円を割り込む事態まで追い込まれていたりします。

この事態を挽回すべく、TLホールディングスは中国事業に血道を上げるわけですが、
それに追い討ちをかけたのが中国人の Huang Liaozhan
彼に敬称は付けませんなぜならば犯罪者だからw

まずはこのIRを見てください。

平成22 年11 月15 日午前9 時開催の当社取締役会において、Huang はHuang の実弟である特別利害関係者
が当社取締役会に通訳として同席させると申し出たが、他の取締役及び監査役がHuang の特別利害関係者であ
ることを理由に退席するように指示しました。しかしながら、当該特別利害関係者が退席しないので当社は警察
官を呼ぶことにより、当該特別利害関係者は当社から出て行きました。
その後、Huang が議長として、Huang の提案で第3四半期報告書の提出を決議しました。他の取締役がHuang
に対して、平成22 年11 月11 日及び12 日の決議した投融資案件の内容に問い詰めたところ、退席しようとし
たので、他の取締役が制しました。
問い詰めていた際、午前9 時30 分頃、当社に警察官2 名が来たため、取締役会を一時中断して、Huang を
はじめとする当社取締役が警察官に対応しました。対応後、Huang は警察官2 名が見ている前で当社から出て
行きました。
Huang 退席後も、残った取締役及び監査役は当該取締役会が正式に継続していると合意し、Huang が退席し
たため、代行議長順位1 位の佐藤浩二が議長となり、Huang の代表取締役を解任し、平成22 年11 月11 日及
び12 日の取締役会で決議した投融資案件の再審議及び否決を行いました。当該取締役会は15 日12 時に閉会し
ました。


えーと Huang は京都大学を卒業できる程度の日本語力があるのに
なんで弟を名乗る人物の通訳が必要なんだよw
大体弟って言うぐらいならそいつだって中国人だろうよw
でもって、警察来たら家帰っちゃう社長ってどうなんだよw

そして Huang の罪状はこちらのIRをどうぞ。

平成22 年11 月23 日に中国上海市の法務当局に対して、衆儀の代表者であるHUANG が当社の取締役会の
承認決議を得ないまま、HUANG が独断で衆儀が100%保有する春天株式持分を春天総経理の李に98%、張に
1%、陳に1%を譲渡した旨の登録申請が行われ、株主登録が完了していることが判明しました。

わかりやすく言えば、Huang は会社の財産を横領した訳ですw

そもそも、劣勢に回った会社が苦し紛れに海外に手をだして
よりひどい目に遭うとゆーのは良くあるパターンなんですが、
ここまで判りやすいのはなかなか無いんじゃないかと思います。

財務ですが最近の四半期決算短信を見ると、自己資本比率の悪化が目に付きます。
この手の会社は銀行がカネを貸してくれないので、基本的に自己資本比率は
悪くなりようが無いのですが、50%切ってます
銀行がカネを貸してくれないので未払金名目です。
もちろん未払い金を賄いきれる現金は無いようです。

今後の見通しですが、今しばらくはバカ増資を繰り返すしかないでしょう。
そしてここまで中国人にヤラれたのに、もはや中国事業から
退却することは出来ないところまで追い込まれているよーです。
いずれにせよ、劣化した Turbolinux や、デファクトスタンダードになりきれてない
Zend 関連製品で劣勢を挽回するのは難しく(できるのならとっくにできているはず)
中国事業で突き抜けるしかないと考えます。

ま、宝くじの方が割がいいと思います。



【2010/12/29】 屑株 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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